大切な人が落ち込んでいる時に出来ることとは

大切な人が落ち込んでいる。

普段あまり弱音を吐かない。

吐いたとしてもどこかふざけたように、本当に弱い部分は見せない人が べこんべこんのボコンボコンに弱っている。

私に一体何ができるんだろうか。

話したい? 聞いてほしい?

一緒にいる?

ゆっくり休んでね。

私に出来ることは。

私が大切に思う人の為に、私に出来ることは…。

人に寄り添うことや、励ますことは出来るけれど、 あくまでもその状況から自分自身をまた立ち上がらせることは、 本人以外には出来ない。

どういう状況であっても結局は他人をコントロールすることは出来ない。

暗闇から引きずり出すことも 大きな穴から引き上げることも、 力づくで出来るかもしれないけれど、

自分自身でそこから動くことを決めない限り、 容れもの(身体)だけの移動に果たして意味はあるのか。 (外から状況を変えるのは場合によってはプラスの作用を及ぼすことはあると思うけど 結局根本的な解決になるのかという話)

根本的にその問題と向き合い自分自身の中でその先へ向かうステップを踏めないと、 また同じようなことで暗闇や穴におっこちてしまうのではないかな。

バースコードではこういう穴や暗闇は、 それと向き合いその先のステージへ進むために必要な壁だと考えています。

問題にぶち当たるのは、自分自身がこれまでとは違うステージに来ている証拠。 成長しているということ。

問題があるから、その先に向かって問題と向き合い、考え、更にその先へ進めるのだと思います。 だからこそ、ちゃんと向き合いその先へ進まないとおんなじようなことがまたやってくる。

どれだけ励ましても、思いを吸い上げても、

その人自身のエネルギーが前に向かなければその人自身が立ち上がることは出来ない。

無理やり立たせるのも 支えになって立ち上がらせるのも、 「立ち上がる」というゴールは同じかもしれないけれど、 そこから得られるものは大きく違う。

ならば、私に出来ることは。

求められるなら傍にいて、 必要としてくれるなら寄り沿い、話を聞いて。

相手のために出来ることはそれくらいで、

他者をコントロールすることなく他者の為に出来ることって、 結局自分自身に集中し、一緒にいる自分自身のエネルギーの質を高めることなのかな、と。

「あなたの為に」の大義名分のもと、 他者にフォーカスしすぎて壊れ物のように扱うことは本当に相手のためなのか。 (自己満足という結果は得られるかもしれないけど。)

エネルギーが下がっている相手に寄り添い過ぎて、 そこに引き摺られて一緒にエネルギーを下げるのでもなく、 私は自分自身のエネルギーを上げて相手のエネルギーを上げる方向に行きいたいな、と。

エネルギーの質があまりにも違うともしかしたら離れて行ってしまうのか?とふと過ぎったけれど、 その人の持つエネルギーが本来はとても力強く、前向き上向きなことを知っているから。

少ししたら

ああ、穴ん中も暗闇もつまんないなーって よっしゃ、立ち上がるかぁって立ち上がってくれる

それを信じて、私は私で前を向き、エネルギーを上げていくことで あなたの力になりたいと願うのです。

そんな風に思える人と出会えたこと、 傍にいられることに感謝して

私はこれからジーパンを買いに行ってきます。 (↑どうでもいい報告)


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